事務所の朝礼では
毎朝、「職場の教養」という本を読みます。
この頃のお題から派生して、「信じる」ということについて。
たぶん人間誰しも、例えば100人中100人からは好かれない。
わかってくれる人、その中の80人でもいたらいいなって思う。
ちょっとよくばり?
では、50人に好かれて、50人に良く思われない状態があるとする。
この状態は、百歩譲って?認めることができる。
しかたないこと。
でもね。
よく思っていない50人の中に、
すご〜くすごく影響力の強い人がいたとする。
その人の発言は、真実味を帯びていて、
本当のことでなくても、「そうなのか!」と納得してしまうほど。
そうなると、好いていてくれた50人から、
じわじわ〜っと、良く思わないグループへの移動が始まる。
いつのまにか、50対50の図式は10対90へ・・・
これって、納得いかないなぁ〜って思いませんか?
話は一方からだけでなく、もう一方からも聞く。
それから判断しようよって思う。
人がどう思っていようと、まずは「信じて」あげようよって思う。
聞いた話・人がした判断を自分の判断にしていない
判断は、自分で確認してから自分でしよう。
私は、そうありたいなぁ〜と秋の夜長に思いました